オタクの備忘録

忘れたくないこと。Twitter にかけない事

認知特性とオタク

こんにちは。みいさです。


昨夜、フォロワーさんのスペースで「認知特性」についてお話していたことが面白すぎて一夜明けても反芻しているので自分の認知特性をざっとまとめて見ようと思って、ポチポチ文章を打っています。


私、突出して言語映像が出ていて次に視覚映像がやや出ていてその他は平均値程度と言う、明らかに映像型でした。


映像型ではあるけれど、中でも言語映像が出ている特徴としてあげるなら、

"自分の考えや頭の中を整理する時は文字に起こす"

ことがあると思います。


現状、自分の認知特性を考えていたら頭がそれでいっぱいになってしまっているので

ブログに打ち込むことで頭を整理させています。


また、長文の完全に私目線のレポをブログにまとめるのもその現場の記憶を整理して留めておきたいから、なるべく早く文字にして記憶の定着を図っています。


ただ、言語優位ではあるけれど思考を文字列で行っているかと言うとそうではなくて。


例えば今日の夜何食べようかなとなった時は自宅の冷蔵庫の中を思い出したり、直近買物した時のカゴに何を入れたか映像で辿って考えています。

アフレコとして「この時買った豚肉は昨日食べたわ」とか「あ、そういえばごぼう安かったから買ってたわ」とかが自分の声でついてきてその日夜ご飯何を作るか決めます。


どこか知らない土地に旅行に行くとしても、行きたいところや行ってみたいところを予めリサーチして地図や施設のホームページを見てどんな外観でどれくらいの距離があるか、とか視覚的に情報を経てから旅行の工程を決めるかも。


来月、推しの凱旋公演に行くにあたっても、会場のホールの外観と位置と駅からの大体のルートを把握して、空き時間はこの辺に行こうかなと考えてから

駅から近くて外観の良さそうなホテルを予約しました。


ここまで考察すると視覚情報の中でも文字列と言うよりは映像や画像、図などをみて自分の頭にインプットしてそれを噛み砕いていることがか分かります。


昨夜ツイートもしたけれど、勉強するときに文字がびっしりした教科書よりも、

カラーで図や表や絵で分かりやすく書いてある教科書的なものの方が好きです。

いまだに学生向けの教科書とか買ってしまう。わかりやすいから 笑


このように常に映像や画像で思考をしていると起きてくることが「デジャブ(既視感)」です。


私は人よりもデジャブを感じることが多いと思っていて、というのも中学の昼休み談笑している時「これ前も同じようなことなかった?」というのが何回もあったんです。

友人たちは同じ話してないよ〜と笑ってましたが、私が言っているのは談笑の内容ではなくて、

「○○が何かを言ったらみんなで大爆笑した」とか「△△が何かを言ったら急に○○が分かった!と言って何かを取り出した」

とかいう情景を「前にもあったな?」と思ってしまうんです。


今でも仕事しながら「この会議の流れ前にもあった気がするな〜」とか「この症例すごい既視感あるわ〜」と思うんです。


これらを私はただのデジャブ(既視感)で「あったような気がする」「夢か何かで見たのかもしれない

程度で流していましたが、思考を整理してきて思いました。


"これ多分自分の中の記憶を既視感として感じているんだな"

と。


どういうことかというと、中学の私にとって「昼休みの談笑」はいつもあることです。社会人の私にとって「会議や症例検討」もいつも決まった時にするものです。

いつも決まった時にするもの、常にあることの中で

おもしろかったり、楽しかったり悲しかったり、怒られたり、覚えておかなきゃならないことはその場面を「映像」として記憶します。

でも、その記憶が消える前に次のイベントが来るので「これ前もあったよね」と既視感を覚えるということです。


つまり中学の頃の私は談笑しながら記憶喚起していたし、今の私も会議や症例検討を聞きながら過去の記憶を喚起していた(無意識下で)ということになります。


私の中で学生時代の思い出と言うと大きなイベントのこの時!と言うよりも、日常の些細な事とか授業を受けた風景とかが印象的なのは、日常行動をしているうちに無意識に過去の記憶を反芻していたからかも知れません。

運動会や文化祭は例年行われるけど修学旅行とかは1回しかない。そうするともう記憶はあんまりないんですよね。


...自分で書いててなるほど!と妙に納得しました。


情報は視覚的に、画像や映像でインプットするし、文で見たものも映像や画像に置き換えて脳内に保持する。その際、自分の感想や気持ちはアテレコして記憶する。

その記憶したもの達を使って思考する時はアテレコでしかないので映像としてアテレコで脳内が混雑する。

そうなってくると整理するために書きなぐりをしたり、文章書き起こしをしたりするんですね。


記憶を定着させるのも少しの記憶なら反芻するくらいで覚えるけど、現場の記憶となると映像もアテレコも多い上に衝撃もあるのですぐキャパオーバーになってしまうので長文ブログになってしまうというわけです。


つまり、Twitterが基本的に脳直ツイートなのも、脳直でツイートすることによってその時見た情報や物を覚えるためにしているんだと考えられます。



そろそろ会社に着きますのでこの辺りで閉じます。

また帰り道追記するかも。

認知特性って考えれば考えるほど面白いですね。